松本塾ワールド

東京都港区にある就活支援・松本塾

人の痛みに共感し、癒し、輝かせる音楽家でありたい

2025-10-11 17:25:29
2025-10-12 03:22:14
目次

音楽で彩られた生活

2歳の時に、お隣の子がエレクトーン教室に行くので「一緒にどう?」と誘われて、Kurumiさんはエレクトーンを始めました。その後、Kurumiさんはエレクトーンを高校卒業まで続けることになります。

中学・高校では合唱部に所属し、部長になると朝から晩まで練習のことばかり考えていました。部活の顧問は厳しくも力のある先生で、Kurumiさんが部長の時に合唱部はコンクールで山形県の代表になり、さらに全国大会で優勝。テレビでも放映されました。

高校からは文武両道を求められ、勉強も懸命に励み、Kurumiさんは推薦で東京の大学に進学します。大学ではまじめに勉強して教員免許を取ろうと考えていました。

[“願い”への環境設定]

2つの罠(わな)に落ちる

入学当初は意気揚々としていて、「何も怖いものはない」という感じのKurumiさんでした。しかし、そこには2つの罠が待っていました。

1つ目は、「大学生活の罠」です。高校時代は生活の枠組みがガチっと決まっています。起きる時間、寝る時間、授業の時間も決まっています。親のサポートもあります。一方、大学は、生活の枠組みを自分で作っていかなければなりません。一人暮らしだと、生活面における親のサポートもなくなります。そこには自由がある代わりに、「これをやりたい」という意志や願いが弱く「楽を求める気持ち」が強いと、怠惰に流されてしまい、結局は大学を辞めることになる可能性もはらんでいます。

2つ目は「欲得の罠」です。Kurumiさんは、大学1年生の時に他大のサークルに入りました。そのサークルは「お金儲け」を目的としたサークルでした。Kurumiさんの中にあった「欲得」の想いは、そのサークルを「魅力的なもの」として心に映し出しました。そしてKurumiさんは、エネルギーをかけて大学の級友たちに営業をしてゆきます。その結果、親友からも嫌われて、教室に居場所を無くしてしまいます。

「大学の授業なんて意味がない」というサークルの先輩の言葉に影響されてKurumiさんは大学に行かなくなり、未収得単位が積み上げられていきます。成績不良により教育実習にも行けなくなり、「教員免許を取る」という志も果たせなくなります。

そして、コロナ禍の影響もあり、元気はなくなり、4年次には「死ぬ勇気がないから生きているだけ」と言い、抜け殻のようになってしまいました。

[試練は、より深く生きるための促し]

 

涙の卒業論文

そんなKurumiさんが私(松本)のゼミで卒論を書くことになりました。Kurumiさんは、「『願い』を見出し、溌剌と生きるためには」というタイトルで卒論を書くことを決めました。溌剌(はつらつ)と生きている人が、どんな願いを持っているのか、その願いをどうやって見つけたのか等を文献で調べていきました。しかし、大学入学以来、ほとんど勉強をしてこなかったKurumiさんの脳みそは錆びついた状態で、数行の文章の直しにも数日かかる状態になっていました。

卒論は、規定の枚数には達したものの、「この内容だと完成度が低くて、卒論審査会が通らない可能性がある」と、文章の修正と内容の追加のための特訓が始まりました。Kurumiさんはアルバイト先の親戚に事情を話し、「電話番をしながら卒論に取り組んでよい」という特段の配慮をもらい、毎日アルバイト先で卒論に取り組み、その原稿を基に毎晩約2時間、私とオンラインで打ち合わせをしました。その特訓は約5週間にわたって続けられました。そのプロセスで、ある変化がKurumiさんに起こりました。最初のうちは、文章の直しが全然できなかったのが、5週目くらいになるとKurumiさんは自分の想いを文章で書き表せるようになっていたのです。

オンラインでの打ち合わせの時間にKurumiさんは、よく泣きました。親が苦労をして東京の大学で学ぶ支援してくれたのに、その期待に応えられなかったふがいなさ、卒論が書けない苦しみ、将来の自分に希望が持てない不安・・・。

「あのサークルさえなければ・・」と悔やんだことも、「私には願いがない」と言って泣いたこともありました。うまく生きられない苦しみの涙。でも同時に、その涙はKurumiさんがこれから新しく生き直すための「浄化の涙」だったのかもしれないと思うのです。

「願い」の探求から始まった卒論の最後のパートにKurumiさんは、将来開きたいと思っていたエレクトーン教室のヴィジョンを描きました。そして、卒論審査会が近づいた頃、Kurumiさんが、「私にも願いの片鱗があった! 私は、音楽の楽しさを人に伝えたかった」と弾む声で言いました。Kurumiさんの人生に光が差し始めたのを感じました。そして、Kurumiさんは卒業を迎えます。

[卒論を通しての”願い”の探求]

 

人を輝かせたい

卒業後、Kurumiさんはエレクトーンよりも歌うことの方が好きだったと気づいていきます。現在は、ロックミュージシャンとしてライブ活動を行う傍ら、ボイストレーナーとして6歳から60歳を超える人まで20名程を教えています。また、音楽に力を入れている通信制高校の音楽講師としてボーカルとキーボードも教えています。

Kurumiさんは高校時代に合唱コンクールで優勝をしたものの、その時はスキルを上げることにウェイトが置かれていて、「本当に自分は楽しかったのだろうか」という疑問が、「音楽の楽しさを伝えたい」という願いにつながっていきました。

大学卒業後、ロックミュージシャンとして活動する中で、「自分が楽しむだけでなく、見にきてくれている方にとって、特別な経験、自分を解放する機会になってほしい」と思うようになります。そしてその想いは、ボイストレーナーとして人を教える中で、「人を輝かせたい」という「願い」へと結晶化していきます。

Kurumiさんは、「歌の上手い、下手に関係なく、その人らしさが全面に出ている演奏に、人は心を動かされる」のだといいます。「下手だけど、一生懸命に歌っている姿に、人は感動する」というのが、そのわかりやすい例です。だから、「その人の欠点すら個性として捉えて、自分ができる精一杯を音楽に乗せてくれたらいいなと思う」といいます。

高校生の中には悩んでいる子も多くいます。その子たちの気持ちを受け止めることもKurumiさんがやりたかったことでした。Kurumiさんが高校の音楽科で個別指導を行う生徒の中には、「生きる意欲」を失ってしまっている子もいます。それは、かつてのKurumiさんの姿でした。うまく生きられない苦しみを体験したKurumiさんだからこそ、その生徒たちの痛みに共感し、寄り添い、癒し、輝かせたいと願うのです。

学生時代に道に迷ったことも、「生きる意欲」を失ったことも、決して無駄なことではなく、Kurumiさんが「人を輝かせたい」という願いを果たすために必要な経験だったのだと思えてきます。

いまKurumiさんは、「肩書やお金、名誉、過去に一切とらわれずに毎日を楽しく生きている。すべてのものに感謝する気持ちが自然と出てくる」と言います。それは、自らが卒論を通して探求した「溌剌とした生き方」なのではないかと思います。

[すべての経験が無駄なく、”願い”へとつながっている]

 

願いのファイル(3)

最初の願い:【音楽の楽しさを伝えたい】

深まった願い:【人を輝かせたい】

→音楽家(ロックミュージシャン、ボイストレーナー、音楽講師)

Kurumiさんのホームページ:https://lit.link/kurumilk1130

松本塾のホームページはこちら

この記事を書いた人

松本塾 塾長 松本 淳

「学生が輝くことが私の幸せ」という気持ちで、 塾生一人ひとりと向き合っていきたいと思っています。人々の可能性の花を咲かせる「花咲かじいさん」をめざしたいです。