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「病に苦しむ人を心身共に癒すこと」を願って、鍼灸治療院を営む

2025-10-06 17:27:33
2025-10-06 17:50:15
目次

Hiroshiさんの「願い」

Hiroshiさんは、都内で鍼灸治療院を開業して33年になります。同治療院には、血液検査や画像検査等で「異常なし」と診断されても、頭痛、めまい、吐き気等の不定愁訴に悩む人も来院してきます。以前、Hiroshiさんが「人が精神的、肉体的な苦しみから癒されていくこと。そこに自分が関われることに、もっとも歓びを感じる」と語ってくれたことが私の心に印象深く残っていました。

そこで今回、「人を癒したい」という願いを、Hiroshiさんはどのようにして見出していったのかを取材をさせてもらいました。

5歳の頃に交通事故で重傷を負う

5歳の頃、Hiroshiさんは親戚を訪問していた際に交通事故に遭い、10メートル飛ばされ血だらけになります。まだ頭蓋骨が柔らかったので一命を取り留めたものの、大人だったら即死だったといいます。

親元から離れた病院で、一人で過ごす日々。その中にあって、病がもたらす孤独感を心に刻んでいきます。同時に、「医師の思いやり」や「同じ病院に入院している人々のやさしさ」、また「それぞれに病苦を抱えて生きる人の気持ち」が心に深く残りました。この時の体験が、Hiroshiさんの中にある「病気の人を放っておけない気持ち」の原点になっているといいます。

退院して自宅療養となりましたが、Hiroshiさんは、めまいや吐き気、頭痛、首や足などの痛みの後遺症に悩まされます。大学病院で検査をしても「異常無し」の所見で、治療法はなく、周囲の人々からは理解してもらえませんでした。そんな中、柔道整復(ほねつぎ)師として有名だった親戚のおじさんに治療してもらうようになります。すると、頭痛や吐き気、首や背中、腰の痛みが楽になり、「現代医療とは別の治療」があることを知っていくのでした。

 

友人たちの死

高校1年生の時、Hiroshiさんの友人2人が立て続けにビルから転落死するということがありました。2人目の友人を火葬場で見送る中で、今まで遠かった死が自分事として迫ってきました。これ迄の生き方が走馬灯の様に浮かび、「自分は今まで他人のためになることを一つもして来なかった」という強い後悔と共に、「人のためになることを何かしたい」という願いが湧いてきました。

 

鍼灸の学校へ

交通事故の後に色々世話してくれたおばあちゃんが脳梗塞になり、Hiroshiさんは「何か役に立てることはないか」と考えるようになりました。

ちょうどその頃、Hiroshiさんの父親が仕事をしながら鍼灸の専門学校に通い始めました。Hiroshiさんも父親から勧められて、鍼灸の学校に通い始めます。さらに、父親のクラス担任だったT先生に弟子入りすることを勧められます。

Hiroshiさんは、朝からT先生の治療院で見習いの仕事をして、夜は鍼灸の学校に行き、24時間鍼灸の事を考える生活になっていきました。都会育ちだったHiroshiさんは、「デザイナーや美容師のようなかっこいい仕事がしたい」と思っていました。鍼灸の仕事は、当時のHiroshiさんにとっては、マイナーな仕事でした。しかし、やってみると自分にすごく合っていることがわかってきました。色々な層の患者さんがHiroshiさんを頼りにしてきます。自分の人生の話をしてくれたり、病気で辛かった話をしてくれたりします。Hiroshiさんは「自分にも役に立つ人がいるんだ」と思えてきました。

人の苦しみを少しでも減らしたい

Hiroshiさんが弟子入りしたT先生は、若い時に落石で片手が粉砕される事故に遭い、兵隊に行くこともできず、ノイローゼになってしまいます。それが、お灸で救われたということで、鍼灸を一生の仕事にしようと決めます。「心の痛みのある人」や「苦しみのある人」を助けたいという気持ちが凄く強い方で、具合が悪くて寝込んでいる時でも、病気の人がいると降りてきて治療をする。自分のことを捨ててでも人の苦しみを助ける。その姿を見て、Hiroshiさんは深く感銘を受けます。そして、「自分もそんな風になりたい」と思うようになっていくのでした。

治療のフロントに立つようになって、Hiroshiさんはさまざまな患者さんと出会うようになります。経済的にも社会的にも恵まれている人。プロ野球の選手や芸能人。大物政治家にも会いました。でも、いくら表面が立派で確かそうに見えても、心身ともに必ず何か痛みを抱えていることに気付いていきます。それは、人間の悲しみのようにも思えました。そして、それらの痛みを少しでも減らすことが、「自分の存在意義」なのではないか思うようになっていきます。

父親が脳梗塞になる

T先生のところに行き始めて少しした頃、Hiroshiさんの父親が脳出血で倒れます。脳の深いところの出血で、5分くらいで呼吸が止まってしまって、救急の医者から「3日以内に9割死にます」と言われました。救急病院にかけつけたHiroshiさんとお兄さんは、担当医からCT画像を見せられて、「これだけ大きいからね。これは死ぬか、植物人間ですよ」と言われました。そして、「どうしますか。延命すれば植物人間であなたたち家族に負担がかかります」と決断を迫られます。

父親は集中治療室でたくさんのチューブにつながれていて、脳がものすごく腫れていて辛い状態にありました。せん妄状態にもなります。病床で叫んで暴れてチューブを抜いてしまう状態の父親を見ていた時に、Hiroshiさんに強い「後悔の念」が湧いてきました。「この人は生まれて、家族のために一生懸命働いて、でも家族に嫌われて、今死のうとしている。そういう人生を歩ませて、それでいいの?」と問われたような気がしたのです。父親が父親としてではなく、初めて一人の人間として感じられた瞬間でした。そして、後悔の想いと共に、「自分は一生父のおむつ交換で終わってもいい」と思えたのでした。

そしたら、すごく心が軽くなりました。家庭の経済のことも、今後の先行きも全部真っ暗に感じていたのに、気持ちは軽くなって、父親に対する恨みの想いも全部消えて、心が青空のように晴れやかになっていきました。

すると、「9割死ぬ」と言われていた父親の容態が山を越えて、植物人間にもならずに、小康状態になったのです。

そこでHiroshiさんの恩師が国立病院の先生を紹介してくれて、「こちらの病院に移さないか。うちだったら手術できるよ」と言われたのでした。入院中の病院は「動かしたりしたら死にますよ」と猛反対でした。そこで、父親に気持ちを聞いてみることにしました。「ここにいても、病気の症状は改善されないし、移って手術を受けてもうまくいかいかもしれないけど、どうする」と尋ねると、「医学の役に立てばいい」と父親は移転を希望しました。

手術の日の朝、母親と共に父親を見送る時、Hiroshiさんは朝日が射す中で、「ここに入って、出てきた時はもう死んでしまっているかもしれないんだな」と思い、同時に「家族になったことのありがたさ」を感じていました。

ところが、手術後に父親は、なんと自力で歩いて出てきたのです。それは奇跡にしか見えませんでした。その手術は、脳内に溜まっている血液を座標軸をつけて抜くというもので、その当時、その病院でしかできないものでした。脳内に溜まっていた血液をきれいに抜くことが出来たのですが、それからは長いリハビリが必要でした。病院の先生は、Hiroshiさんに鍼灸での父親のリハビリ治療を「自由にやっていい」と許可してくれました。

その後、その父親が国立病院の神経外科に行くと、その主治医の先生がお医者さんたちや看護師さんたちを呼んで「この人だよ、この人が奇跡の人だよ」と話します。それだけ父親の脳の損傷は大きかったのだということを知るのでした。

父親が心筋梗塞になる

やっと落ち着いたと思っていたところに、父親が今度は心筋梗塞で倒れるということがおきました。医師から「手術をしなければ3日以内に死にます」と言われ、Hiroshiさんは膝が震えました。父親は意識がなくて意思確認をすることは出来ません。そして、「手術をして、それでダメだったら、それは父の運命だった」と受け入れていこうと腹を決めたのでした。

7時間くらいの大手術が終わり、父親は出てきました。主治医からは「成功しましたよ」と言われたのですが、「お宅のお父さんの血管はあちこちボロボロだからもって5年以内ですね」とも言われました。

その後、Hiroshiさんは麻酔科医に呼び止められます。そこで、父親の心臓はかなりダメージがあって、手術後に人工心臓から元に戻す時に3回電気ショックを与えたけど心臓が動かなかったと言われます。そして、「これはもう心臓がダメになっちゃったんだな」と思ったとのことでしたでも、その先生が「もう一度だけやってみようか」と思って、やったら生き返ったと教えてくれたのでした。それは、「奇跡の生還」だったのです。

「心の痛み」が癒させる医療へ

Hiroshiさんの父親は、身体は治ったものの、「心の痛み」を抱えていました。貧しい農家に育った父親は、「働かざるもの食うべからず」という世界観を持っていました。そして、働けなくなった自分は家族の負担となるので、「死にたい。死にたい」と毎日毎日ずっと言うようになったのです。それが、また家族の負担になっていきます。

ちょうどその頃に、Hiroshiさんは結婚をします。その結婚式に父親も何とか来られました。その場で、「お父さんが倒れて家にいなかった時は本当に心細かった。ただ生きてくれるだけでいい」と言ったら、父親がボロボロと涙を流して号泣して、それからは「死にたい」とは言わなくなったのでした。その時にHiroshiさんは、「やっぱり人は、病から肉体だけ助けられても、心が癒されないとダメなんだ」ということを心に刻んでいきます。そして、「心身共に癒すこと」が仕事の目的になっていきます。

Hiroshiさんは言います。「現代医学は絶対に必要だと思うし、すばらしいと思う。でも穴があったり、溝があったりもする。それを補完していきたい。病気は心の痛みが救われないと最終的には回復するところには至らない。それを自分の領域(東洋医学)で出来ることをやってきたんじゃないかと思う」。

取材を終えて

幼少期に交通事故に遭ったこと。事故の後遺症に苦しんだこと。父親の勧めで鍼灸の世界に入ったこと。父親の脳梗塞、心筋梗塞に家族として寄り添ったこと。父親が何度も「奇跡の生還」に運ばれたこと。T先生を始め尊敬する医療者たちと出会ったこと。肉体は治っても心が癒されない父親と向き合ったこと。「心の痛み」を抱えた父親が癒されていったこと・・。

Hiroshiさんの人生に訪れた、これら一つひとつの出会いと出来事は、Hiroshiさんが「病に苦しむ人を心身共に癒したい」と心底願い、鍼灸治療院院長として実践していくために必要な要素だったのかもしれないと、畏敬の想いをもって聴かせてもらいました。

尊い人生の歩みをお話くださったHiroshiさんに心から感謝申し上げます。

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この記事を書いた人

松本塾 塾長 松本 淳

「学生が輝くことが私の幸せ」という気持ちで、 塾生一人ひとりと向き合っていきたいと思っています。人々の可能性の花を咲かせる「花咲かじいさん」をめざしたいです。